「週刊新潮」1999年7月1日号
特集「一度も昭和天皇との会食を許されなかった美智子皇后の父」

美智子さんの父親・日清製粉会長・正田英三郎さんの家には結婚が決まった昭和33年11月27日から、脅迫電話が鳴り続けた。


入江侍従長の日記
によれば、反対勢力の旗頭・秩父宮妃の母親・常磐会会長の松平信子と大正天皇の生母の姪・柳原白蓮が「正田家からの辞退」をさせようと「愛国右翼団体を動かしたりした由」だそうだ。

執拗な嫌がらせは半年間も続いた。P138

正田英三郎さんは多くの思いを胸に秘めて99年6月18日に亡くなった。

週刊新潮の記事によると

「、、異常としか言いようのなかった美智子様いじめの時期、、、」
「、、電気もつけずに、お部屋でボーッとされていた。」
明仁さんとの結婚から4年で「、、変わり果てた愛娘」に正田お父さんは
「、心が錐で突き刺されたように痛んだ。」だろうとある。
差別の本拠地で凄まじい「嫁さんイジメ」の差別が行われていたのである。P140
その皇族の連中は美智子さんのお母さんを「上海マダム」などと言ってバカにしていたそうだ。
いま、こういう一族のCMソングを卒業式や開会式で歌わせられる若者たちの屈辱感も頂点に来ている。

象徴一族が「愛国右翼団体を動かしたりした由」、、、まさに日本の構造改革など出来るわけがない「構造」なのである。