文豪の愛した自然豊かな街、そして終戦。
国木田独歩の名作『武蔵野』の舞台である自然豊かな武蔵野とは、実はほんの 100年ほど前の松濤あたりだといいます。
現在の渋谷とほとんど目と鼻の先のところです。
江戸時代は大山街道の休息場所だった渋谷は、明治時代の山手線の開通とともに次第に落ち着いた住宅街へとなりました。
犬のニッパーをシンボルにしたHMVが誕生した1920年代、ここ日本でも一匹の犬が渋谷を有名にしました。
帝国大学教授、上野英三郎氏の愛犬、ハチ公は毎朝、渋谷駅まで上野氏を見送り、毎夕、その帰りを出迎えていたのです。
ハチ公は、1925年に上野氏が死去した後も渋谷駅で主人を待ち続け、
その姿は渋谷だけでなく東京中の評判となり、1934年には渋谷駅前に銅像が作られました。
1930年代、渋谷は建築ラッシュにわきます。華族・名士の邸宅が多く、私立大学などの教育機関が集まっていることから
渋谷駅の乗降客は従来から多かったのですが、建築ラッシュによってそれに拍車がかかりました。
まず、1934年に駅との連絡を初めて意識した東横百貨店が開店しました。
営業時間が9時から21時と当時としては極めて長く話題をさらいました。
それに乗じるように1935年には渋谷~吉祥寺間に鉄道が、1939年には渋谷~浅草間の地下鉄が開通しました。
地下鉄開通により渋谷にあき足らない顧客が銀座方面に流れたのも事実ですが、
また反面、より洗練された街「渋谷」を目指すようになったのも事実なのです。この頃の渋谷は、
他の繁華街に比べて、品の良い家族連れの多い街だったと言います。
1941年日本は戦争に突入。渋谷も例にもれず1945年の大空襲で焼け野原と化しました。
渋谷はゼロからのスタートを課せられたのです。しかし、この逆境から渋谷は不死鳥のように甦りました。
終戦直後のヤミ市からバラックでの商売に進歩。そしてバラックからマーケットへという形を15年程で創り上げてしまうのです。
渋谷センター街
いつの時代も今を伝える街、渋谷の誕生。
戦後、渋谷は新しい顔を見せ始めます。
1960年代に入るとDIG、スウィング、ありんこなどのジャズ喫茶が音楽好きの学生たちを集めました。
そして1960年代後期には、ジャズ喫茶だったブラックホークが輸入盤を中心に
欧米の新しいロック・ムーブメントを紹介しはじめ、
渋谷は新しいロックの街へと変貌します。
さらに、はっぴいえんどなど日本の新しいロックバンドの拠点となったBYG、泉谷しげるなどのフォーク・ムーブメントの
拠点となった青い森、アンダーグラウンド・アーティストを積極的に紹介したJean Jeanなどのライブスポットの存在が目立ってきました。
ロック専門誌の走りである「ミュージック・マガジン」の編集部も渋谷にありました。
1968年1.19 エンタープライズ、佐世保入港・反対闘争激化
1.29 東大闘争始まる
5.27 日大全共闘結成/12.11 川端康成、ノーベル文学賞受賞
12.20 3億円事件発生
1969年1.18 学生蜂起、東大安田講堂闘争
6.29 新宿西口地下広場で、反戦フォークソング集会
7.20 米アポロ11号、初の月面着陸に成功
1970年11月三島由紀夫、「盾の会」3名の若者と赤坂の防衛庁で同性愛割腹心中
3.14 大阪万博開幕/3.31 日本赤軍・よど号事件/7.18 光化学スモッグ発生
1974年の渋谷PARCOオープンをきっかけに、渋谷は若い世代の文化を表現する街と変わっていきます。
1980年代以降は、EGG MAN、クアトロ、オンエアなどの新しいライプスポット、東急文化村のオーチャードホール、
HMVをはじめとする大型CDストアなどが登場し、渋谷は新しい音楽を発信する街として、さらに活気を得ていきます。
そして、フリッパーズ・ギターなど、渋谷系と呼ばれるセンスあふれるアーティストを輩出しました。
こうしたバックグラウンドを持ちながら、今日も渋谷は、劇場、ライブスポツト、クラブ、FM、そしてストリートと、
あらゆるシーンで、刺激的で楽しい、そしてクリエイティブな文化を発信し続けているのです。
国木田独歩の名作『武蔵野』の舞台である自然豊かな武蔵野とは、実はほんの 100年ほど前の松濤あたりだといいます。
現在の渋谷とほとんど目と鼻の先のところです。
江戸時代は大山街道の休息場所だった渋谷は、明治時代の山手線の開通とともに次第に落ち着いた住宅街へとなりました。
犬のニッパーをシンボルにしたHMVが誕生した1920年代、ここ日本でも一匹の犬が渋谷を有名にしました。
帝国大学教授、上野英三郎氏の愛犬、ハチ公は毎朝、渋谷駅まで上野氏を見送り、毎夕、その帰りを出迎えていたのです。
ハチ公は、1925年に上野氏が死去した後も渋谷駅で主人を待ち続け、
その姿は渋谷だけでなく東京中の評判となり、1934年には渋谷駅前に銅像が作られました。
1930年代、渋谷は建築ラッシュにわきます。華族・名士の邸宅が多く、私立大学などの教育機関が集まっていることから
渋谷駅の乗降客は従来から多かったのですが、建築ラッシュによってそれに拍車がかかりました。
まず、1934年に駅との連絡を初めて意識した東横百貨店が開店しました。
営業時間が9時から21時と当時としては極めて長く話題をさらいました。
それに乗じるように1935年には渋谷~吉祥寺間に鉄道が、1939年には渋谷~浅草間の地下鉄が開通しました。
地下鉄開通により渋谷にあき足らない顧客が銀座方面に流れたのも事実ですが、
また反面、より洗練された街「渋谷」を目指すようになったのも事実なのです。この頃の渋谷は、
他の繁華街に比べて、品の良い家族連れの多い街だったと言います。
1941年日本は戦争に突入。渋谷も例にもれず1945年の大空襲で焼け野原と化しました。
渋谷はゼロからのスタートを課せられたのです。しかし、この逆境から渋谷は不死鳥のように甦りました。
終戦直後のヤミ市からバラックでの商売に進歩。そしてバラックからマーケットへという形を15年程で創り上げてしまうのです。
渋谷センター街
いつの時代も今を伝える街、渋谷の誕生。
戦後、渋谷は新しい顔を見せ始めます。
1960年代に入るとDIG、スウィング、ありんこなどのジャズ喫茶が音楽好きの学生たちを集めました。
そして1960年代後期には、ジャズ喫茶だったブラックホークが輸入盤を中心に
欧米の新しいロック・ムーブメントを紹介しはじめ、
渋谷は新しいロックの街へと変貌します。
さらに、はっぴいえんどなど日本の新しいロックバンドの拠点となったBYG、泉谷しげるなどのフォーク・ムーブメントの
拠点となった青い森、アンダーグラウンド・アーティストを積極的に紹介したJean Jeanなどのライブスポットの存在が目立ってきました。
ロック専門誌の走りである「ミュージック・マガジン」の編集部も渋谷にありました。
1968年1.19 エンタープライズ、佐世保入港・反対闘争激化
1.29 東大闘争始まる
5.27 日大全共闘結成/12.11 川端康成、ノーベル文学賞受賞
12.20 3億円事件発生
1969年1.18 学生蜂起、東大安田講堂闘争
6.29 新宿西口地下広場で、反戦フォークソング集会
7.20 米アポロ11号、初の月面着陸に成功
1970年11月三島由紀夫、「盾の会」3名の若者と赤坂の防衛庁で同性愛割腹心中
3.14 大阪万博開幕/3.31 日本赤軍・よど号事件/7.18 光化学スモッグ発生
1974年の渋谷PARCOオープンをきっかけに、渋谷は若い世代の文化を表現する街と変わっていきます。
1980年代以降は、EGG MAN、クアトロ、オンエアなどの新しいライプスポット、東急文化村のオーチャードホール、
HMVをはじめとする大型CDストアなどが登場し、渋谷は新しい音楽を発信する街として、さらに活気を得ていきます。
そして、フリッパーズ・ギターなど、渋谷系と呼ばれるセンスあふれるアーティストを輩出しました。
こうしたバックグラウンドを持ちながら、今日も渋谷は、劇場、ライブスポツト、クラブ、FM、そしてストリートと、
あらゆるシーンで、刺激的で楽しい、そしてクリエイティブな文化を発信し続けているのです。
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