物が売れなくなったら、国に武器を買わせる

 インフレーションというのは、『古事記』『日本書紀』の時代にはなかったものだ。だからインフレというのは、現代の特色である。
 日本やアメリカのような国が、資本主義という経済体制であることは、みなさんもとっくにごぞんじだろう。この資本主義は、利潤というものが最大の目標だ。つまり、もうけることが、資本をもとにした会社、企業の目的なのだ。逆に言えば、もうけるためには何でもやる、あるいは何でもやらなくてはならない。

 もうひとつ、資本主義社会の宿命のようなしくみがある。それはごくかんたんにいうと、拡大再生産といって、年々、売れるものがふえていかなければならない。利潤がつねに拡大していかなくては、企業はやっていけない、という宿命がある。そのためには年々値上げをするか、人びとの物を買う量が、ふえていかなくてはならない。
 君の心を商品にしばりつけ、そのために君の心をからっぽにさせておく、心を乗っとっておく。
そうした原因が、右のような資本主義というものの必然にあることは、ここからもわかるはずだ。
しかし人の心を物にしばりつけておくだけではたりない。
 どんどん買えといっても、限りがある。それにインフレというものが起こると、どうしても物が買えなくなる。人びとが商品が買えなくなったら、もう資本主義はやっていけない。そこでどうしたらいいか。
 武器を国に買わせれはいいのだ。軍需生産に切りかえればいいのだ。だから、インフレというものが戦争とむすびつく。インフレは、戦争のタマゴなのである。そうして心のほうも、こういう政策に反対できないように、インフレとともに、戦争のほうに切りかえられていく。

□独占資本が生まれるしくみ

今まで歴史的に、インフレーションはつぎのような立場から考えられていた。              
  本来、貨幣というものは、「金」をもとにして、金貨の代わりに紙幣を出していた。だからお札を銀行に持っていけば、それを「金」 に換えてくれる。党換紙幣である。金本位制である。けれども、「金」を持って歩くのは重くてしようがない。それで紙の札を持って歩く、というのが昔からの考えかただ。
 ところがこれにつづいて、最近では独占資本が出てきた。独占資本というのは、銀行資本であ
る。これは今までになかった考えかたであって、銀行というのは何も生産しない。だから銀行資本というのは、「物」とは関係がない。それまでの資本は、織物をつくる織物資本であるとか、鉄をつくる製鉄資本であるとか、自動車をつくる自動車資本であるとかということで、最近まで物の生産でやってきた。これが産業資本だ。

けれども織物なり鉄なり、あるいは自動車というものがだんだん売れなくなって来ている。売れなくなるとそういう資本は銀行からお金を借りるわけだ。こうして産業資本は銀行資本によって支配されることになる。日本の場合製鉄というのはほとんど独占的になっているが、織物であるとか、自動車であるとかは、あっちにもこっちにも会社があって、なかなか独占にならない。けれども、それに金を貸している、つまり金融資本というものは、集中しやすい。つまり集中によって独占支配というものができる。独占資本というものから、独占金融資本というものになっていく。


 銀行資本の段階では、まだかならずしも産業資本を支配するという事態ではない。産業資本に資本を提供するというていどで、対等であるが、物が売れなくなってどんどん金を貸し出すと、資本が集中して、独占金融資本というものになってくる。
それはやがて国家とむすびつくということになり、国家の財政も、そういう独占金融資本が支配するようになってくる。そこで、国が紙幣を発行するのではなく、独占金融資本が紙幣を発行するという事態にまでなる。

 今の日本では、まあ日本銀行というものが紙幣を発行していて、国家なり産業なりの日本の経済全体にとって、平均のとれた紙幣の発行をやっているということになっているのだろうが、そういう日本銀行というものは、じつさい上はだんだん独立性を失っている。ほかの銀行と同じような、金融資本のひとつにすぎなくなっている。
それで、金融資本は政府の財政とむすびついてしまって、日本銀行が独立して、あまり札を刷らないというような、良心的なしごとができなくなってくる。その結果、インフレが起こる。経済というものが、必然的に戦争へ向かって混乱してくる。つまり、ヒットラーが、あるいは、ファシズムというものが生まれてくる条件ができあがってくる。これが今の状況である。

□もうかるなら戦争もやる利潤生産
 利潤による生産は、あらゆる悲惨の原因である。戦争に反対だと、みんなが声高に叫んでも、利潤生産というものがあるかぎり、戦争はもうかるものだという事実があるかぎり、戦争でもうけたいやつはいるのである。戦争をなくするには、だから、本当は、利潤による生産の関係をなくする以外にはない。今、アメリカだけではなく、全世界でもって、その資本主義の最後の段階でやっていることは、やはり軍需生産という利潤追求なのだ。

 平和生産のいちばん最後の商品は、自動車である。日本の自動車は安くてぐあいがいいから、それでアメリカの自動車が売れなくなったと、騒がしく言われている。しかし問題は、そんなところにあるのではない。日本の自動車をもふくめて、もう間もなく自動車というものが売れなくなる。自動車が売れなくなればどうするのかといえば、今度は戦車をつくる。税金で戦車をつくればいいということになっていく。現在そういう段階に、すでに入りつつある。


日本の自動車を買う労働者が職を失えば、とうぜん日本の自動革も買えないということになる。もうすぐそういう事態になって、自動車は日本車だけでなく、すべて売れなくなるのだ。

そうなれば、独占資本というものは、戦車をつくるよりほかにないということになる。
 現に日本の三井、三菱、川崎重工などというのは、もう自動車とかの平和生産から、戦車などの軍需生産に移らぎるをえない。そういう状態にまでなっている。この八月に日産自動車がアメリカの兵器産業のマーチソ社と「軍事提携」したのなんか、その露骨な例だ。いよいよ自動車会社が、ミサイルをつくるのだ。

わかりやすい例をあげよう。アメリカでだれが日本の自動車をいちばん買っているかといえば、アメリカの自動車工場の労働者である。自分ではアメリカの自動車をつくっているけれども、日本の自動車に乗っている。だからデトロイトでもシカゴでも、ゼネラル・モータースでもなんでもアメリカの自動車が売れなくなる。そうなればアメリカの自動事工場の労働者は、失業してしまう。日本の自動車を買う労働者が職を失えば、とうぜん日本の自動革も買えないということになる。もうすぐそういう事態になって、自動車は日本車だけでなく、すべて売れなくなるのだ。

そうなれば、独占資本というものは、戦車をつくるよりほかにないということになる。

 
現に日本の三井、三菱、川崎重工などというのは、もう自動車とかの平和生産から、戦車などの軍需生産に移らぎるをえない。そういう状態にまでなっている。この八月に日産自動車がアメリカの兵器産業のマーチソ社と「軍事提携」したのなんか、その露骨な例だ。いよいよ自動車会社が、ミサイルをつくるのだ。
『日刊ゲソダイ』に五木寛之君のエッセイが毎日のっているが、その中でも、そういう事態が指摘されているくらいだ。利潤生産というのは、永遠に平和生産をしていけるというものではないのだ。現に平和生産では、もう物が売れなくなっている。世界的にそうなっている。それでは来年になれば、購買カが上がるかというと、見通しはまったくない。それで現に軍需生産が、全世界的に行なわれている。それにともなって、君の心も「臨戦体制」 に移らされようとしている。

今までの、欲望でしばったからっぼな心というもので、もうじゅうぶんその下地ができているからだ。なんとかいい品物を手に入れる、いいものを食う、いい生活をする、そうした″闘争心がこんどは国のために戦えというふうに、いっせいに方向を変えられる。
かんたんに変えられてしまう。これがファシズムである。

□軍需生産が最後の生産である意味

 平和的な生産物の最後が、自動車であると、ぼくは言った。それなら、平和的でない、つまり軍需的な生産物と、平和的な生産物では、どこがちがうのか。なぜ資本主義の国家は、とくに軍需品を買わなければならないのだろうか。
一年問に五千五官億ドル、円にして百兆円以上というものが、現在武器生産にそそぎこまれている。アメリカ、イギリスなどの先進資本主義国、それから社会主義国をもふくめて、百兆円の軍需生産をしている。この軍需生産によって製造される武器というものからは、じつは何も生まれてこないのだ。それは、戦争をすることのほかには、なんの役にも立たないものなのだ。最終的に売りっぱなしですむ、つまり、軍需生産から先は何も生産しない、あとは人間の死を生産するしかないのだ。
 これが平和的な生産との、いちばん大きなちがいなのだ。それなら国は、武器なんか買うのはやめて、福祉のほうに金を使えばいいじゃないか、そういう議論が起るかもしれない。しかし 福祉では、独占資本のほうが食っていけない。もうからない。           

 いっぽう兵器は、こわれるまでそれを使えるというものではない。五年ぐらいすれば、それはもう旧式になって、使いものにならなくなる。それで
どんどん新式の兵器を買わなければならない、ということになるのだが、その点にまた、独占資本が軍需生産に魅力を感じる理由があるわけだ。こうして日本国内でも、平和生産というものをやめて、軍需生産に税金をそそぎこんでいく。その結果は、ふたたび破滅がくることはもうあきらかなのだ。

 軍需生産は何も産まない。そういう軍需生産に世界の経済力をそそぎこんでいくということは、経済制度としてはそれだけ「ゼロ生産」になっていくわけだ。つまり、現在の世界経済は、一年間に五千五百億ドル以上を、ドブに捨てていることになる。

 これがまた、すべてインフレーションの原困になってくる。このインフレーションは、いつか爆発する。もっとも深刻化しているのは、アメリカだ。アメリカは、それをふせぐのに、ますます武器生産をやるよりしようがない。
 このように資本主義の生産様式、生産関係というものを爆破させる原因は、インフレーションである。その爆破の原因をますます大きくするのが、軍需生産、武器生産というものである。この悪循環、これが、戦争が起こる経済的な背景なのだ。

□ 「自主防衛」とは、アメリカの武器を買うことだ

 ここで、日本の国民をなんとか軍需生産のほうにひきつけておく、戦争のほうにひきつけておく必要が生まれるのだ。軍需生産はやめろ、地方財政に、福祉にまわせと、日本人が騒ぎださないようにしておく必要がどうしても生ずるのだ。自主防衛とか、軍備拡張とかいう考えが、もっともらしく宣伝されることになるのは、こうした理由からだ。御用評論家が、そのお先棒をかつぐことになる。

「日本はアメリカの軍隊にばかり守ってもらわないで、自力で守ることが必要だ」などという議論の中身が、けっきょくなんであるかといえば、要するにアメリカの武器を買え、あるいは日本でも武器生産をもっとやり、それによる特許権とかの見返りを、アメリカに支払えということなのだ。

 この種の議論の中身は、そういうものであって、平和を守るとか国を守るとかということとは、まったく無関係なのだ。日本の国民は、自分の力で国を守る気にならなければならない。「この平和な日本を守るために、防衛力を増大しようではないか」というような、自民党なり御用評論家なりの議論。それはまったくナンセンスであって、今日本が防衛力を増大するということは、アメリカ独占資本の軍需生産の、犠牲になるということだ。アメリカの犠牲になるということなのだ。

「1901年生まれの歴史学者より、若者たちへ。」1982年著。