ウクライナ問題とは、そのまま沖縄問題である。
これほど全く同じ、分かり易い比較はない、同じなのだ。
戦後アメリカは沖縄に何をした、
奪い尽くし、更に破壊し、
いま傲然と居据わって島を滅茶苦茶にした。
レニングラードでナチスとの戦いで数百万の死者を出しながら来るべき欧州の平和のためにヒトラーナチスと戦い抜いたソビエト人民、
冷戦終結の分け前は全て奪い取られ東欧は侵略に次ぐ侵略。
虐げられた世界弱者人民の希望であったソビエト連邦は策謀に次ぐ策謀の果てに破壊され、
オリガルヒのような西洋仕込みのゴロツキに全土が乗っ取られてしまった、
プーチンたちの必死の反撃がなかったらロシアはユニットに分割され凶悪な欧米資本の植民地にされていただろう。
平和な発展を夢見た鎮魂の美海に囲まれた沖縄が、戦後どうされてしまったかを見れば
プーチン・ロシアの怒りと我慢が炸裂するのは余りにも当たり前である。
「重要なことは、人々の関心を核心から他へ逸らすことなのである。
、、、彼らの考える民主主義社会とは、社会を支配する特殊階級と、組織化の手段を奪われた残りの国民からなる社会なのである。
一般大衆はテレビの前にじっと座り、人生で大切なのはたくさん物を買って、テレビドラマにあるような裕福な中流階級のように暮らし、調和や親米主義といった価値観を持つことだ、というメッセージを頭の中に叩き込まれていればよいのである。
民主主義にとってはこの烏合の衆が問題なのである。
彼らが大声を発し、じたばたし始めないように彼らの関心をどこかよそへ逸らさなければならない。
彼らはスーパーボールやテレビドラマを見ていればよいのである。
そして彼らを襲う悪魔の存在を信じさせておかなければならない。
そうでないと考え始めるかもしれない。
それは危険だ。
なぜなら彼らは考えるべきではないからである。」
(『メディアコントロール』) ノーム・チョムスキー
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