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東京2020オリンピック大会小山田圭吾問題とは、
15歳の圭吾少年を生み出し、放置した日本社会に今も荒れ狂う差別構造・いじめと弱者攻撃の犯罪である。圭吾少年のいじめ犯罪を擁護する者など一人もいない、
いないということを知悉していながらこの国、この社会の差別構造・いじめと弱者攻撃を隠蔽する「犯罪」に加担している事実である。

あのときとおなじなのだ。
あのときとは東京2020オリンピック大会名誉総裁の父親の誕生日1948年(昭和23)12月23日、
アジア侵略強盗で2000万のアジア人を惨殺し日本国民310万の命を奪った強盗戦争の責任者として真夜中の巣鴨プリズンで、7人の男たちが絞首刑を執行された。
東條英機(大将、元首相)
土肥原賢二(大将)
松井石根(大将)
武藤章(中将)
板垣征四郎(大将)
広田弘毅(元首相)
木村兵太郎(大将) である。

小山田圭吾を叩くことで何を済ましたつもりなのか?

絞首刑7人を高邁な指導者として祀り上げ侵略強盗殺人戦争を進めて行ったオマイラは一体何をして来たのか?

東京2020オリンピック大会小山田圭吾問題とは何か?

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1990年代渋谷ほど弾けていた街はなかった。
渋谷系を定義しろと言われて正確に出来る者などいない。
だが、小山田圭吾が渋谷系のてっぺんの一人だと言って否定する者はいない、
『恋とマシンガン』がリリースされたのは1990年5月である。

1995年8月、東京2020オリンピック開会式の楽曲担当小山田圭吾が『クイックジャパン』で自身がプロデュースしたといういじめを詳細に語った。
その1ヵ月後の1995年9月、沖縄県に駐留するアメリカ海兵隊員2名とアメリカ海軍軍人1名の計3名が、女子小学生(12)を拉致した上集団強姦した。
日米軍人・日米安保の残忍さを象徴する強姦致傷・逮捕監禁の「沖縄米兵暴行事件」である。

渋谷公園通りのバブルを牽引したPARCOのオープン記念に圭吾の盟友小沢健二とスチャダラパーがライブを行ったが、そのPARCOから数m先に瀟洒な高級マンションがある。
渡辺淳一が仕事場を構え川島なおみと一緒の姿が週刊誌に撮られたりした、
その4階の部屋から1995年3月、オウム帝国の安寧と麻原天皇陛下のために
オウム帝国諜報省長官井上嘉浩を隊長とするサリン特攻隊が、朝靄の中を霞ヶ関に向けて特攻して行った。
小山田圭吾も井上嘉浩も共に1969年・昭和44年に生まれている。

小山田圭吾・井上嘉浩のふたりが10歳の子供であった1979年、その年ヒットした沢田研二の「カサブランカダンデイ」や山口百恵の「いい日旅立ち」を聴いていたかは分らない、
しかしTVで繰り返し流れる「なんちゅうか本中華」と画面から呼びかける大橋巨泉のCMは観ていただろう。
その大橋巨泉は週刊現代の連載で靖国英霊侵略兵士の個別の犯罪に目を瞑り自ら裁こうとしなかった国民の犯罪性を鋭く告発した。
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(この項続く)