アメリカの重い差別構造を拡大して来た共犯に日本自衛隊がアメリカ軍産に流し込んで来た野放図なインチキ防衛費の巨大化がある。
・どの国の軍事経済・軍部も憎悪と対立を国内に生み出すことで生き抜いて行く。
軍需経済・軍部がある限り社会の中に差別と憎悪が生み出されて行くのだ。

日米安保詐欺同盟でアメリカ軍産と抱き合っている自衛隊の防衛詐欺予算毎月5000億円が、アメリカ差別構造を拡大して行く犯罪に加担して来たことは自明である。
そのことに気が付かない日米国民の低脳振りは決して許されない。

ミネソタ州ミネアポリスの路上で、警官が黒人男性ジョージ・フロイド氏の首を膝で「8分46秒」抑え続けて殺した。
フロイド氏は後ろ手に手錠を掛けられて地面にうつ伏せにされ、身動きできない状態であった。
7日目の6月1日、ようやく大統領としての公式声明を発したが、銃所持の右翼たちに「自衛のために銃を取れ」と示唆する。

アメリカの差別・対立・憎悪はアメリカ軍産によって打ち固められて来た軍事構造が原因のすべてである。
実はこのアメリカ構造に加担しているのは日本自衛隊である。
例えば辺野古はその典型である。

例えば1968年1月の佐世保エンタープライズ寄港阻止闘争が勝利し、闘いの意志が受け継がれて、自衛隊・米軍・日米安保の凶暴な腐敗詐欺構造が叩き潰され一掃されていたら、
ベトナム戦争だけではなく、日米軍産のアジア侵略体制は大きく変わっていた、
アメリカの人種差別、反人権体制も後退していた、
それは間違いないことだ。


(1968年1月の佐世保エンタープライズ寄港阻止闘争
アメリカ政府が自民党政府に原子力空母エンタープライズの寄港を命令し、佐藤内閣は閣議決定し、国民の怒りが爆発した。
青年労働者・学生らを中心とした寄港反対派は、この寄港を「佐世保港が、ベトナム戦争の出撃基地になる」と位置づけ、大々的な反対運動を展開した。反戦運動と反核運動の両方の性格を持った一大闘争であった。
1968・1・15
中核派の学生200人が、ヘルメットや角材で武装したうえで無許可デモを行いながら駅に向かい、午前8時28分ごろ飯田橋駅前で警視庁機動隊と衝突。
民社党系団体約3,500人が反対集会
1・17
公明党系団体約4,700人が反対集会を行う。また日本共産党系全学連約2,000人も反対集会を行う。前日に九州大学に泊まり込んだ新左翼系全学連約800人は博多駅から急行「西海」に乗り込み、ヘルメットと鳥栖駅で積み込んだ角材240本で武装して午前9時45分に佐世保駅で下車。角材を捨てるよう呼びかけた警察の警告を無視して、学生らは線路に降りて米軍基地に向かう引込線を進み、平瀬橋で警察部隊と衝突した。
1月18日
エンタープライズ寄港阻止佐世保大集会を市民グランドにて開催。参加者47000人。
新左翼青年労働者・学生約1,000人が佐世保橋突破を図る
1月21日
佐世保市民球場で開かれた社・共両党による抗議集会に新左翼(中核派355人、社学同120人、社青同解放派75人)が参加。
この抗議集会で使われたプラカードや角材などで武装して再度強行突破を図る。
中核派が引き潮で水位の下がった佐世保川を渡り阻止線を突破、米軍基地侵入を決行。基地内部に突入。
期間中、反対集会延べ22回、参集人員延べ60000名余、デモ行進17回、(青年労働者・学生の実力部隊約1万)

●新左翼の労働者学生を中心とした実力闘争であった。
アメリカ軍に対して実力で立ち向かったことに対しては高い国民の共感があった。
学生として参加した島泰三は、佐世保からの帰路、催涙ガスまみれで乗った列車の車掌から「ご苦労様です」と声をかけられたり九州大学へ向かう西鉄福岡市内線の車内で乗客に席を譲られたこと、右翼の学生から「礼を言いたい。エンタープライズの入港は、本心を言えばわれわれも反対だ。三派全学連はよくやったと思っている」と言われたことを記している。
保守派猪木正道は、三島由紀夫らとの対談で、右翼らしい老人から「米軍基地に突入していく学生の姿を見て日本人はまだ死んでいないことを知った」という手紙をもらったことに触れ、「主権と独立の精神を発揮してみせたことでも、功績はあるかもしれない」と述べている。
三里塚闘争を率いた北原鉱治は、「機動隊と勇ましく衝突して血を流しているのを見て反対同盟はすっかり感激してしまいました。」と振り返っている。
以後、
ベトナム人虐殺に向う米軍のジェット燃料タンク車阻止のために1968年10月21日国際反戦デー新宿闘争。
中核派・ML派・第四インターは、明治公園及び日比谷野外音楽堂で集会を行った後、角材等で武装しながら続々と約2000人が新宿駅に集結し、東口広場に集まった市民2万人と共に各所で機動隊と衝突、駅構内に突入してベトナム戦争用燃料タンク車の移動阻止のたたかいを繰り広げた。)