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沖縄戦などで亡くなった人、総数24万1525人。
名前を刻んだ糸満市摩文仁の「平和の礎(いしじ)」。

現在の腐り切った軍事経済・腐敗の極にある防衛省・自衛隊の創設に深く関与したのは、
人間のクズ集団と言われた旧軍の腐敗軍人達であった。海上自衛隊、野村吉三郎大将や保科善四郎中将などが復活に関与し、敵将アーレイ・バーク提督も後押しした。筑土龍男や左近允尚敏など、初期の幹部は兵学校出身である。

美しい辺野古の海を腐敗詐欺集団自衛隊・米軍のために泥と鉄でメチャクチャにするなど恥ずかしくないのか、
長い年月を掛けて沖縄の美しい海が作り上げた掛け替えのない自然だぞ、
取り返しの付かない日本人の財産だ、
美しい辺野古の海に腐り切った詐欺集団自衛隊・米軍の侵略基地を作るなど気が狂ってる。
人間と自然に対する許せない犯罪である。

「皇軍は今の自衛隊・米軍と同じように腐敗出鱈目集団であった。」
沖縄における日本皇軍の横暴は末端の兵隊だけのものではなかった。
  将校の中には「中国大陸や南方の占領地とでも錯覚したのか、軍政をしくなどと、とんでもない放言をする」者もいた(浦崎純『消えた沖縄県』四五頁)。
  
また皇軍将校たちが那覇の「辻遊郭で日夜飲み騒ぐのを見せつけられた住民は……この郷土沖縄がまるで外地同様植民地であって、あたかも外国軍隊が駐留しているのではないかとの錯覚さえ感じ」た者もいた(『沖縄作戦における沖縄島民の行動に関する史実資料』24頁)。
  
また日本軍の将校は、監督した沖縄地域の有力者に対して、女学生などの若い女性を自分の愛人にするために差し出すよう要求し、実際に多くの女性が皇軍将校専属の慰安婦にされた(藤原編著前掲書、二二頁、川名紀美『女も戦争を担った』二一三頁)。

『沖縄』小山内宏著より一部引用。
 、、、、、1945年3月、沖縄、慶良間の無惨
 『部隊は、これから米軍を迎え撃ち長期戦に入る。したがって住民は、部隊の行動をさまたげないために、また食糧を部隊に提供するため、いさぎよく自決せよ』…・・」 (上地一史『沖縄戦史』)
  、、、、、生存者の記録によると、皇軍大尉は、手榴弾が不発で死をまぬがれた住民が、軍の壕へ近づくと入り口で立ちふさがり、軍の壕に入るな、すぐ立ち去れ、とにらみつけたという。一度上陸した米軍は、一部を残して撤退したが、五月上旬ふたたび上陸、伊江島住民二千人もこの島に移動してきた。そのため、渡嘉敷島の農作物はもちろん、野草、トカゲに至るまでが食べつくされるありさまとなった。
  西山陣地に潜った日本皇軍大尉は、住民の所有する食料の五〇パーセントを強制供出を命じ、違反者は厳罰に処した。そして、伊江島出身の女性五名と男子一名が、米軍の命令によって降伏勧告状を届けに赴いたところ、売国奴と罵られて一人一人自らの穴を掘らされ、後手に縛されて斬首された。米軍は島民をもって再三、降伏勧告を行なったが、そのつど、使者に立った沖縄住民は殺害されている。それでいて、米軍に対しては果敢な突撃を行なうではなく、陣地の境内にひそみつづけていたのである。そして、日本が敗戦を迎えると日本皇軍大尉は、部下とともに米軍に降伏し捕虜となった。沖縄住民は、憤りをもってそれを記録している。
 「・・・あれほど自分のロで玉砕を叫びながら、みずからは壕のなかに避難して、住民には集団自決を命令、あるいはスパイの濡れ衣を着せて斬殺、暴虐の限りをつくした大尉はいまや平然として降伏文に調印し、恥じる色もなく住民のまえにその大きな面を現わしたのだ。その態度はあくまで傲岸で、すこしも自省の様子はみられなかった。その彼が武装解除され、皇軍の衿持も何もなく捕虜となり、米軍兵士に連れて行かれる姿を、住民たちは複雑な気持ちで凝視していた…」(山川奉邦『秘録沖縄戦史』)

国民の共通の敵は言うまでもない悪辣腐敗の軍部と軍事構造である。
腐り切った軍事経済と腐敗詐欺集団の軍部がある限り未来はない。
日本国民は、憲法9条の強化、即ち、自衛隊の即時解体、米軍・軍事基地の一掃、
そして何より悪辣な軍事金融資本・軍事企業の違法化を、躊躇してはならない。
自衛隊や米軍、軍事基地、軍事経済や日米安保などという甘ったれたお花畑の腐敗構造に今こそオサラバを告げるときだ。