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稲田朋美防衛相は29日午前、東京・九段北の靖国神社を参拝した。
稲田氏の参拝は今年8月の防衛相就任後初めてである。
安倍晋三首相が米ハワイの真珠湾をオバマ大統領と慰霊のために訪れた翌日の参拝である。

靖国英霊兵士たちは海を渡ってアジア各地で何をしたのか?
靖国軍事利権のために侵略強盗殺人の被害者への考慮もなく参拝するなど人間のクズ以下の所業である。

陸軍第114師団重機関銃部隊所属 田所耕造。
田所氏は1971年週刊誌の取材に答えた。当時、彼は53歳。
彼が語った残虐の限り。しかもこれは「命令」だった。
「・・南京陥落の日に城内に入ったけど、翌日にはもう外へ出されてしまった。そのとき、水筒に一杯の恩賜の酒をもらったけど、みんなで飲むもんだから、盃をちょっとなめる程度だったね。それと恩賜のタバコ10本。兵隊は涙を流して喜んでいただいたよ。……入城式で行進したのは、あれは無傷の部隊だけだったさ。
城内で残敵掃討をやった。将校や下士官出のやつをつかまえ、栃の木にしばりつけて撃ち方や刺し方を教えながら、やらせる。私? 私は2等兵だったから、刺し方だった。……こんなことが城内で10日間くらいつづいたかな。もちろん命令でやった。
そのころ、私らは下関(シャーカン)にいた。鉄条網の鉄条をはずして、つかまえた連中を10人ずつくらいに束にして、井げたに積み上げ、油をかけて燃やしちゃった。「俵しばり」といったな。豚を殺すのと同じ気持ちだったな。ああいうことをやっていると、人間を殺すのは平気になる。日常なんだから。……それに命令だからなんとも思わなかったね。その中には非戦闘員もいたし、日本人もいたらしい。従軍記者もまちがってやられたらしい
機銃掃討して殺すのもやった。左右に山があって、そこに据えつけてバリバリ撃つ。支那人は、初めはワアワア泣いてるけど、どたん場になるといさぎいいもんだね。日本兵で、斥候に出て捕虜になったのが、敵陣で水汲みかなにか使役させられているのがみえたりしたら、かわいそうなのでこちらからバーンと撃ってやったんだけど、伏せて逃げるね。こちらは、はずかしめを受けさせないための日本人愛のつもりなのに。
しかし、女が一番の被害者だったな。年寄りからなにから、全部やっちまった。下関から木炭トラックを部落に乗りつけて、女どもを略奪して兵隊に分ける。女1人に兵隊15人から20人くらい受け持たせてね。倉庫のまわりなど、日当たりのいいところを選んで、木っ葉などをぶらさげて場所をつくる。赤ケンといって、中隊長のはんこがある紙を持った兵隊たちが、ふんどしをはずして順番を待つんだ
いつか女の略奪班長をやったことがあるけど、ゆくと、女たちはどんどん逃げる。殺すわけにはいかないから、追いかけるのに苦労したもんだよ。支那の女は技術はうまいね。殺されたくないから、必死なんだろうけど、なかなかいい。なにしろ上陸以来女の身体にさわったこともないんだから、いじくりまわしたり、なめまわしたりする。私らは、よくなめ殺すといったもんです。
捕虜を見せしめのために傷つけもしたな。耳をそぎとる、鼻を切り落とす、口の中に帯剣をさしこんで切りひらく。目の下に帯剣を横にして突っ込むと、魚の目のようなドロリとした白いものが、五寸くらい垂れる。こんなことでもやらないと、ほかに楽しみがない。上陸以来久しぶりの遊戯なんだから、将校? 知らんふりをしていたな
新潟のやつで、1人で城内に強姦にいったのがいた。ところがなかなか帰ってこない。みんなで探しにいって、男たちを全部つかまえて、行方を教えろといって、1人の男をぶった斬ってみせた。すると白状して、リンゴを貯蔵する防空壕みたいな倉で、死体になっているのがわかった。女を連れて入ったところを三叉のクワで背中をやられて、リンゴの上にころがされていたんだな、あれは……。
強姦をやらない兵隊なんかいなかった。そして、たいていやったあとで殺しちまう。パッと放すとターッと駆けていく。そいつを後ろからパーンと撃つ。憲兵にわかると軍法会議だからね。殺したくないけど殺した。もっとも、南京にはほとんど憲兵はいなかったけど……。(河出文庫『証言・南京事件と三光作戦』)」