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神奈川県相模原市の障害者施設19人刺殺事件は安倍極右カルト内閣の下で起こるべくして起きた事件である。
社会の弱者を殲滅して行く極右カルトが支配する狂った社会の狂った事件である。
安倍極右内閣の副総理は高齢者に「さっさと死ね」と言い、沖縄高江ではヘリパッド反対の住民150人の集落に500人の機動隊暴力集団が乗り込み抗議する男性を車でひき、女性の首を締めて昏倒させるという残虐な政策を強行している。
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障害者施設19人刺殺事件は安倍極右カルト内閣の下で起こるべくして起きた事件なのである。


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【相模原19人刺殺】植松容疑者「ビューティフルジャパン」
植松容疑者最後の書き込みは、110番通報の直後とみられる26日午前2時50分。「世界が平和になりますように。beautiful Japan!!!!!!」と記載
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1939年10月、日本帝国が三国同盟を結んでいたヒトラーは、精神障害者安楽死計画の実行を指示した。
障害者安楽死計画は、「T4作戦」の秘匿名称となり、終戦までに、27万5,000人の障害者をガス殺、投薬注射などによって殺害した。
安倍極右カルト日本会議内閣が回帰を望む大日本帝国でも人種民族と兵士としての健康維持を背景に、優生学が信奉された。
1940年に国民優生法が成立し、優生学に基づいて、国家奉仕、社会貢献できないような精神障害者・ハンセン病患者の断種を強制するようになった。
国民優生法は、日中戦争が続く中で、戦争遂行のために国家の資源、財政が必要とされているのに、国家奉仕できない精神障害者を養っておくことはできないという、腐り切った日本帝国の判断の反映であった。

ナチス・ドイツの「安楽死計画」
「T4作戦」
ナチス・ドイツの「優生思想」で、障害者や難病の患者は「安楽死計画」の犠牲になった。1939年から1941年8月までに、約7万人の障害者が「生きるに値しない生命」として、抹殺された。「安楽死計画」の事務所(中央本部)がベルリンのティアガルデン4番地の個人邸宅を接収して、そこに置かれたことから、この計画は暗号で「T4作戦」と呼ばれた。

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2013年7月29日東京都内でのシンポジウムにおいて安倍極右内閣の麻生太郎副総理兼財務相はこう言っている。
「・・・憲法はある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。
だれも気づかないで変わった。
あの(ナチスの)手口に学んだらどうかね。
わーわー騒がないで。・・」
シンポジウムは極右ジャーナリストの桜井よしこ氏が理事長を務める「国家基本問題研究所」が都内のホテルで開いた。

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安倍極右カルト日本会議内閣の麻生副総理「さっさと死ねるように」 高齢者高額医療で発言
2013.1.21
 安倍極右カルト日本会議内閣の麻生太郎副総理兼財務相は21日開かれた政府の社会保障制度改革国民会議で、余命わずかな高齢者など終末期の高額医療費に関連し、「死にたいと思っても生きられる。政府の金で(高額医療を)やっていると思うと寝覚めが悪い。さっさと死ねるようにしてもらうなど、いろいろと考えないと解決しない」と持論を展開した。
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三島由紀夫が防衛庁に日本刀を持って侵入して起こした殺傷事件がこの相模原施設襲撃事件に酷似している。
そのキーワードは刺青と檄文(手紙)である。
19人刺殺犯人植松聖は背中に刺青を入れていた。
三島由紀夫も突入事件前に背中に刺青を入れようとした。(時間がかかると言われ断念した経緯がある。)
三島由紀夫と植松聖が夢想した世界はその檄文と手紙を読めば解かるとおり非常に似通っている。二人が夢見た世界はヒトラーナチスと天皇制が追求した「純粋無垢で残虐な排除の帝国」という悪臭漂う腐敗した社会であった。
「残虐な排除の帝国」という唾棄すべき社会を希求していたという点において共通しているのだ。
三島由紀夫も植松聖も狂気の事件を起こす前に刺青を必要としたのである。

「三島由紀夫クルクルパア説」
1970年昭和45年11月14日午後、
三島由紀夫、森田必勝、小川正洋、小賀正義、古賀浩靖の5人は六本木のサウナ・ミスティで会合。
決行の11月25日に檄文と5人で撮影した記念写真をNHKとサンデー毎日の記者に渡す事を話し合う。
TVと週刊誌を祭りの宣伝に利用しようという打ち合わせである。
翌15日、週刊読売の特集に対する電話インタビューで死に方について、「文士でなく、武士のいさぎよい死を!」と答えている。

そしてこの後「三島事件クルクルパア説」を決定付ける三島由紀夫の行動が明らかになっている。
この後三島は横浜の有名な刺青師彫錦こと大和田光明氏に、牡丹と唐獅子を彫ってもらえないかと電話したのである。
ズッコである。

天皇主権、憲法改正をいかに檄文に盛り込み、いかにこの騒動の出し物をTVと週刊誌を使ってチラつかせるかというセコい打ち合わせをした翌日、ヤクザ映画見過ぎの影響モロ出しの行動である。

背中に中華丼もどきの柄を彫って自衛隊に斬り込む高倉健になろうとしたのである。
三島の生涯を詳細に追った『三島由紀夫の生涯』の中で安藤武氏はこの刺青依頼電話を「東映映画の見過ぎか三文役者の行動」と断じ「仮に刺青が完成していたら森田必勝にはどう詫びたら申し開きがつくのか」 「自決後の誹謗中傷は想像を絶したであろう。」と言っている。

完成しなかったのは大和田氏に1週間や10日で完全な刺青は出来ない、と断られたからだ。
ただのオバカである。

三島事件の檄文が「幼なマザコン男の論理」丸出しだった理由は安藤氏が嘆くように刺青が完成していてもいなくても充分にわかろうというものである。
三島由紀夫のズッコケ心中を未だに「衝撃だった」と大真面目に語る男たちがいる。
右翼だけではなく左翼にもいる。

三島由紀夫事件、
衝撃は、この出来そこないのコントを魂消(たま)げたという幼稚な男たちの存在のである。
004-1-7
(引用)

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